小樽 オルゴール専門店 オルゴール堂®海鳴楼

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海鳴楼の歩み 海鳴楼の歩み
オルゴール堂®海鳴楼 塚原ふさ子 オルゴール堂®海鳴楼 塚原ふさ子
1988
日本初・日本最大のオルゴール専門店の
構想・企画作りに着手。
1989
「小樽オルゴール堂」開店。店舗設営、広告、
仕入れ、販売等の一切を取り仕切る。
1990
「オルゴール海鳴楼」を開店。
以来、オルゴール文化を小樽から発信し続けている。
きっかけは、
ひとつの小さなオルゴール

私たちが小樽でオルゴール屋さんを始めようと思ったのは、プレゼントでいただいたひとつの小さなオルゴールがきっかけでした。その時聴いたオルゴールのどこか懐かしさを感じさせる音色が、レトロな街並みが残る小樽に合うと思ったからです。
オルゴールは、生演奏を聴くしか音楽を楽しめなかった19世紀当時、はじめて音楽を再生できる機械として誕生。広く世界中に受け入れられ発展しました。ところがエジソンの蓄音機の発明によってその座を奪われ、20世紀初めにあっという間に衰退。以降、玩具という位置づけのなかで細々と生きながらえてきました。

一方、小樽は…。明治時代、開拓使が札幌に置かれ、その玄関口として小樽は発展しました。1880年(明治13年)には日本で3番目の鉄道が敷設され、石炭を中心に北海道産の物資が小樽に集まり、小樽港から道外に運ばれました。また、鰊漁も活況を呈し、小樽の経済は札幌をも凌ぐと言われていました。国内のみならず外国貿易の拠点としての役割も担っていました。しかし、第二次世界大戦後の高度成長で日本中が沸くなか、小樽は「斜陽の街」と呼ばれその活気からすっかり取れ残されていました。かつて石川啄木が詠んだ「悲しきは小樽の町よ 歌うことなき人々の声の荒さよ」という句にある、小樽人の啄木もびっくりの元気のよさはどこへやら…忘れ去られた街になっていました。(そのおかげで再開発されずに古い建物が残ったのですが…)

オルゴールと同時代に脚光を浴び、発展を遂げた小樽。外国貿易港として勇躍世界に羽ばたいていた頃、おそらくオルゴールも海をわたって小樽にたどりついたことでしょう。遠く海の向こうからきたオルゴールの音色。それはかなたから響いてくる海鳴りにも似て人々の心の琴線をかき鳴らすものだったでしょう。

こうして見てみると、オルゴールと小樽の歴史は奇しくも重なりあうじゃありませんか。そこで、私たちは小樽とオルゴールを結びつけ、小樽からオルゴールの持つ温かみを伝えようと思ったのです。

小樽が観光地として脚光を再び浴びるのと同時に、オルゴールにもスポットライトが当たるよう、祈りを込めて…。

世界初、世界最大の
オルゴール専門店の誕生

1988年、私たちはオルゴールに似つかわしい建物を探しました。そこは家具屋兼倉庫でしたが、1912年(明治45年)築のレトロという言葉がぴったりの300坪の大きな建物でした。

今や、玩具売場の片隅でひっそり売られているだけのオルゴール。それを大きな倉庫いっぱい、すべてオルゴールの店にしようという私たちの計画。誰しも二の足を踏みそうな計画ですが、その建物のオーナーは私たちに賛同してくれました。資金はオーナーが持つけれど、私たちが企画・運営の一切を取り仕切りるということで話がまとまりました。(バブル絶頂期ならではの話ですね)

こうして1989年、世界初、世界最大のオルゴール専門店「小樽オルゴール堂」は誕生しました。話題性もあってマスメディアに取り上げられ全国からたくさんの観光客が押し寄せました。

オルゴールは売れる!とばかりにすぐに日本各地の観光地でオルゴール店ができました。その時、それに対して私たちは違和感を感じていました。

オルゴールの音色には癒しの効果があると言われています。古き良き時代を偲ばせるいかにもアナログなその響き。それは小樽だからこそ似合うのだと思うのです。オルゴールは音楽を聴くもの。それぞれの曲には聴く人それぞれの思いが詰まっています。オルゴールをプレゼントする時、人はその曲にその人の思いを込めて贈ります。私たちは、そんな伝える気持ちを大切に、そしてそれをオルゴールの音に託して小樽から発信していきたいのです。歴史や技術などを含めた「オルゴール文化」を継承し、伝えていきたいのです。

オルゴールがどこにでもある土産物になってしまうのを寂しい気持ちで見ていました。このままでは、オルゴールはブームとして消費されたあと再び無くなってしまう!そんな危機感さえ感じていました。

「オルゴール堂®海鳴楼」の誕生と
新たな取り組み

1990年、私たちはオルゴールへの思いを具現化するため自前の店を作ることにしました。それが「オルゴール堂®海鳴楼」です。ここで私たちはオルゴールのいろいろなことをスタートしました。

まず、1世紀も前にその絶頂期を迎え、今やその技術さえも途絶えかけている当時のオルゴールを知ってもらうことから始めました。玩具としての位置づけでしかない今のオルゴールとはまったく違う本物のアンティークオルゴールを聴けるコンサートホールを作りました。
10数台の大型のアンティークオルゴールから流れる豊かで重厚できらびやかな音色は、多くの方に感動を与えるとともに、その歴史も語りかけてくれました。

その頃はまだぬいぐるみの人形や意匠を凝らしたケースに入れられたオルゴールが主流でした。
人形やケースのデザインが気にっても曲が好みでなかった場合、曲を取り替えることができませんでした。
工場で作られたお仕着せの組み込みオルゴールではお客様のニーズに応えることはできません。
オルゴールは音楽を聴くもの。お客様が曲とケースを選び、それを店頭で組み合せてお渡しできたら…。
その思いで組合せオルゴールの企画はスタートしました。当初、工場ではメカだけを売ることに難色を示しました。粘り強く交渉した結果、なんとか売ってもらえることになりました。
店頭での曲数を少しずつ増やし、ケースもこちらから意見を出してさまざまなタイプのものから選べるようにしました。こうして、工場で作られた組込みオルゴールから、店頭での組合せオルゴールがメインになってきました。

組合せオルゴールを通して、お客様のオルゴールへの思いの強さを実感しました。曲に対してもケースに対しても、さまざまな要望が出てきました。「○○の曲をオルゴールで聴きたい」「もっと○○なケースがほしい」等々。

この要望が次のステップにつながりました。

ケースに対する要望を形にしたのが「オルゴール手作り工房」です。自分の好きなケースを自分でデザインして作るようにしたのです。

オルゴールは円筒形のシリンダーに突起をつけ、その突起が鋼鉄で作られ音階順に並んだ櫛歯を弾いて音を奏でます。その音はとても小さく耳に近づけなければ聴き取ることができないほど。それを共鳴によって音を大きくするのがケースの役目です。ですから、ケースといっても箱状のものでなくても板状のものであってもかまいません。素材も、木、ガラス、プラスチック、アクリル、紙、金属等さまざまあります。
「工房」では、曲を決めたら、次にお気に入りのケースを選びます。さらにそのケースに自分の感覚で意匠を凝らしたデザインを施します。色をつけたり絵を描いたり、いろんな小物で飾り付けたり…。
こうして世界にひとつだけのオリジナルオルゴールが誕生するというわけです。
「オルゴール手作り工房」は、体験観光が注目され始めたこともあって人気を呼びました。それもこれも、オルゴールに託すお客様の熱い思いがあったからこそだと思います。

曲に対する要望は「注文オルゴール」を生み出しました。

お客様のニーズに応えるために

組合せオルゴールで徐々に店頭での曲数を増やしてきましたが、そこには問題点もありました。
オルゴールを作るには、オルゴール用に編曲し(オルゴールには機械的な制約があるため)それを型に起こして工場で大量生産します。
ですから、既製品でメーカーに在庫があればその曲を取り寄せられますが、売り切れてしまったものや、オルゴールにされていない曲(型に起こされていない曲)を発注しようとすると、費用と時間が膨大にかかってしまいます。最小ロット数を抑えてもらい(といっても100個単位)お客様のニーズに応えようとしてきましたが、限界はあります。まして1台だけの注文に応えようとすると何十万円もかかってしまうのが実情でした。

「ふたりの思い出の曲をオルゴールにして残しておきたい」「自作の曲をオルゴールにしたい」「退職する先輩に好きだった曲をオルゴールしてプレゼントしたい」「廃校となる学校の校歌をオルゴールにして在校生やOBに渡したい」…。なんとかお客様のリクエストに応えられないだろうか? 

工場では大量生産しかできない。それなら1台でも簡単に作れる機械を自前で作ってしまおう! このコンピュータ時代、オルゴールくらいのメカなら作れるんじゃない?機械オンチの私たち素人だからこその無謀な発想で「注文オルゴール」の企画はいともたやすくスタートしました。2003年のことです。
オルゴールのメカに詳しい人、コンピュータ制御に詳しい人…いろいろな人の協力を得て着手しましたが、またしても難題が…。日本の工場から「オルゴールの部品を卸すことはできない」と断られ、部品供給の道が途絶えてしまったのです。それなら中国の工場は? 当時すでに中国のある工場がオルゴール生産では世界のトップに躍り出ていて、スイスの高級オルゴールのOEM生産を行うほど品質でも優れていました。
当たって砕けるつもりでお伺いを立ててみると、私たちは砕けることなく優しく包んでもらうことができました。
しかも、スイスの高級オルゴールと同質の部材が手に入ることになったのです。
ようやく試作1号機が完成したのは2005年のことでした。オルゴール用に編曲した音のデータをもとにコンピュータ制御でシリンダーに穴を開け、そこにピンを打ち込んでいくという方式の「自動針打ち機」が形になりました。サイズは普通のテーブルにちょこんと乗るほど。まさに店頭で作れる大きさに収まりました。でも、1台の曲を完成するまでに時間がかかりすぎるなど改良点が多く実用化するには課題が山積み。でも一度形にしてしまえば後は少しずつ直していけばいいのですから、産みの苦しみを思えば気が楽です。2007年にはスピードアップした試作2号機が完成。2008年に「自動針打ち機」は特許を取得しました。が、今も改良を重ね、研究を続けています。

こうして1台からお客様の要望に応える「注文オルゴール」の仕組みができあがりました。

さらに、工場で型を起こして作るシリンダーでは突起が丸い出っ張りでしたが、1本1本細い針をシリンダーに打ち込む「注文オルゴール」方式による「海鳴楼オリジナルメカ」を開発し、音質の向上を図ることもできました。

少しずつですが、オルゴールを通して私たちの思うことを形にすることができたような気がします。
これからも「お客様の伝える気持ちを大切に、オルゴールを通して小樽からお届けしていきたい」と思います。